未踏の青

井の中の蛙、大海を夢見て

官僚的組織の一職員によるティール

昨今話題の「ティール組織」を読んだ。

要は、新しいパラダイムに目覚めた職員ひとりひとりが、自らの使命・目的を探すことを主眼とするところ、そうした人々の協働方法として、各人が裁量権と責任を持つようにデザインされた組織であると理解した。

その具体的実践として「自主経営組織」や「ホラクラシー組織」といった様式があるようだが、私のような官僚的組織に属するサラリーマンの場合、組織体を変えるということは中々難しい。

しかし、順応型又はピラミッド型構造を建前とて受容しつつも、幸せを原動力とする働き方を目指し、運用等で実質的に裁量と責任のあるチームと働き方を構築することができるのではないかと思う。

① 新事業チーム

官僚的組織では役職や部署ごとの所掌がきっちりと決まっており、場合によっては強い縄張り意識がある。その縄張りは利権を守ったり、仕事を押し付けたりするのに利用される。これを変えるのは中々容易ではなく、反発も大きいと予想される。

官僚的組織にもメリットはある。時間や場所、顧客によって区別しないという意味で一貫・公平なサービスを安定的・持続的に提供することが重要ならばならば、どんな職員が担当になってもある程度の同質性を担保できるという点で官僚的組織は妥当な組織構造であろう。

そこで、まだ縄張りの存在しない領域で、どんなサービスを提供できるか固まっていないようなものであれば、ティール組織の発想を取り入れたチーム編成が可能であって、効果的でもあるということもあるだろう。

この場合は、どのような人物を新事業チームに選ぶかという点が肝要になってくる。すなわち、仕事に存在意義や幸せを探しているような、ティール組織の思想に共感する職員を探してくる必要がある。

アフターファイブに幸せを求め、仕事に払う労力を必要最小限にとどめたいならば、このような取組みに巻き込まれることは迷惑でしかないだろう。

場合によってはビジョナリーカンパニーがいうように、人を乗せてから目的を決めた方が効果的かもしれない。

② 間接部門の実質的な権限移譲

官僚的組織では法規、会計、人事などの業務が専門の部署によって一手に引き受けられている。これを解体し、各事業チームに振り分けていくことは現実的ではない。社内規則や予算が絡むようなものは特にそうだ。

ここでも形式的には総務部門を(そしておそらく決裁権限も)維持しつつ、実質的な意思決定は現場が行うという運用による解決が可能かもしれない。例えば法務部門であれば、法的リスク等のリーガルナレッジの共有と現場のミーティングのファシリテーションに徹するような、チームコーチとして立ち回るという方法がありうる。

このような間接部門の在り方は、現場から見ればある種の責任逃れに映るかもしれない。それはまさしく、現場が間接業務について自分たちに裁量と責任がないと認識している証左でもある。

カウンターパートである現場がティール型のパラダイムをもっていなければはじめられないだろう。組織的に(担当が代わっても)定着させるならば、現場の担当職員が実質的な裁量と責任を自覚し、押し付けられたデメリット以上のメリットを認識するまで、時間と事例の蓄積が必要になる。

【育児】夫婦の役割分担(情報収集・考察編)

このブログでひとり徒然に整理した思考を妻に話してみた。しかし妻には問題意識がうまく伝わらなかったようだ。

妻は専攻の関係で発達心理学の素養があり、そもそも基礎知識の有無という議論の前提レベルが私と違うのだが、基本的には個別に対応するしかなく、産まれてもいない現時点であれこれ考えても意味はないというスタンス。

どんな子どもにしたいかというビジョンを合わせたいのだと言ってみても、「どんな夢や目的を持っても~」には賛成だし、あなたと価値観が違うとは思わないと。

私の思考法は演繹的だ。原理原則という大前提があって個別具体の事例判断をする。子育てに当たっても、いわば憲法のように、原理原則のビジョンはしっかりと認識し、共有しておきたかった。反対に個別の事例から何を教訓として学べるのか、現段階で汲み取ることは甚だ困難だ。

他方で妻の思考法は帰納的だ。こと子育ては個性が大切で、原理原則に大した意味はなく、細かな個別事例を積み重ねていくしかないという。逆にビジョンを言語化されても、そこから物事を考えるということが不得手かもしれない。

こういう両者の特性をそれぞれに活かせたらいいなと思う。

結論としては(ビジョンの共有は必須だし、仮に「思いやりのある子」のような抽象的な価値観が一致しても、これを基に個別事例で対応するには論理飛躍が大きすぎるし、帰納思考は私が苦手だという再三のプレゼンの末)、私は発達科学の勉強をして妻の知識に追いつきつつ、どんな子どもになってほしいか、その像をできるだけ具体化してビジョンの明確化を試みるという方向性。妻はインスタやtwitterなどのSNSから伺える参考事例を集めて共有しつつ、どのように養育するかを詰めてみるという方向性で、役割分担をすることになった。

いずれ二人なりの体系が出来上がったならば望外の成果だ。

 

……これまでの思考整理が意味ないと言われて、ちょっと落ち込んでいる。

【育児】発達心理学と発達脳科学

育児実践に当たってあった方が良い知識はなんだろうか。

藤井棋士が時の人となってモンテッソーリ教育を関する情報を多く見かけるようになったものの、科学的根拠があるか疑問をぬぐい切れない。特に知育玩具を買え揃えようとなる辺りに胡散臭さを感じてしまう。もっとも、その理念や手法に賛同できる部分はある。

例えば子どものには発達段階があり、それに適した育て方があるというのは自分の直観とも一致する。この点について科学的な整理はないだろうか。

どうやらある。

発達心理学

人の加齢に伴う発達的変化を心理学ベースで研究する。幼児期に限らず一生涯を対象とするが、多くの場合、幼児や児童を念頭に置いているようだ。

心理学ベースということは、行動主義であれば心の内側はブラックボックスとして、実験を通じた刺激と反応の観察・分析を行う。言葉の話せない赤ちゃんも視線と表情で反応を分析し、様々な能力の獲得を推察していく。

このような発達心理学の知見からは、子どもが成長するとともに何からできるようになっていくかがわかる。実際に子どもをよく観察すれば今何ができるのか・次に何ができるようになるのかがわかり、その成長を効果的に支えたり促したりすることができるかもしれない。

発達科学・発達脳科学

前述の発達心理学は、他分野の発達によって、昨今、仮説が実証されるなどの進展がみられるという。こうした多分野と接続した発達心理学を発達科学と呼んでいる様子。

脳科学も発達過程の解明につながる他領域の1つ。年齢によって脳の発達(シナプスの増加と淘汰)しやすい部位が異なり、各部位の時間差がいやいや期・思春期などの特別な時期の発生に繋がっていることがわかってきたとか。

また、ある部位が敏感な時期に虐待など負の影響を受ければ、その部位に応じた障害が生じる。例えば1歳ごろに虐待・ネグレクトを受けると、報酬への脳活動が低下してしまい、おこずかいへの無反応といった愛着生涯に繋がるとか。

以前、非認知能力の最小構成を仮定し、これらの育成を特に重視することを考えてみたが、今は何らかの能力を固定的に目標とするのではなく、各発達段階に応じた個別対応型・臨機応変なカリキュラムが必要かなと思いつつある。
発達脳科学を中心に、発達科学を追っていきたい。

【育児】読書感想(1)

非認知能力とは具体的に何か。どのように育むかという育むか、問題意識で読んだ本3冊。

学力の経済学

「学力」の経済学

「学力」の経済学

子育てや育児政策にも経済政策のようにエビデンスを!と唱え、様々な研究を紹介する本。

その主張自体は賛成だし、参考になる研究紹介もあったが、実践の面ではエビデンスのない恣意が残るように感じる。

例えば、「テレビやゲームは1日1時間」という制限は勉強時間を増やさないとし、制限したところで子どもが自動的に机に向かうわけではないからと分析する。他方、かといって2時間を超えると発達や学習への悪影響が飛躍的に上昇するので無制限はよくないという。1時間制限の分析が正しいならば、やはり2時間と制限したところでやはり自動的に勉強するわけではない。子どもが集中して勉強できる時間を確保したり意欲を出したりするのが問題の本質であって、ゲームの制限そのものに大した意味はないように思える。

幼児教育の経済学

幼児教育の経済学

幼児教育の経済学

非認知能力の話題では必ずと言っていいほど引用されるので読んでみた。

ヘックマン教授の論考と、それに対する賛否の論考が並ぶ。情報としてはインターネットで収集できるもので十分であるように感じた。

ヒトの発達の謎を解く

ヒトの発達の謎を解く (ちくま新書)

ヒトの発達の謎を解く (ちくま新書)

脳の発達過程で、環境の影響をとくに受けやすい時期があり、これを踏まえた早期からの・個別型の発達支援が重要と説く。

その大切さはよくわかったが、ではどの時期にどのような発達があり、どのような支援がよいかまでは踏み込まれていない。新書なので入口としては十分か。心理発達学や脳科学の関連書籍を読み進めてみたい。

【育児】暫定・育児目標「スキル」の最小構成

「スキル」とは、OECDの研究の定義に則り、well-beingや社会経済的成果に影響を及ぼすもので、測定可能で、環境や投資によって変化するものを念頭に置く。
ある研究では21世紀に必要なスキルを数え上げ得たら160にもなったとか。
これらをBigFiveと呼ばれる5つに分類したり、OECDは大きく3つに分類したり。

そもそも数えたり分類したりということにキリはなく、育児の実践では活用できない。認知、非認知双方あらゆる「スキル」をバランスよく習得するのが望ましいとは思うものの、全ての測定は難しく現実的ではない。特に注視すべき「スキル」の最小構成が必要になる。

「非認知能力が認知能力に影響を及ぼすが、その逆なない」という研究結果があるが、非認知能力の中でも、A→Bという関係があるのではないかという仮説を思いつく。そうした一方向の関係を整理していったとき、他の「スキル」に影響されず、それ自体を獲得しなければならない「スキル」の群を抽出できるのではないか。
そうでなくとも、より多くの影響を及ぼす「スキル」、他の「スキル」からの影響の少ない「スキル」というものを抽出できればそれでもよい。
このようにして、育児の目的となる「スキル」の最小構成を構築できないだろうか。

とはいったものの、各「スキル」間の相関の詳細は不明なので、残念ながら直観と経験に頼るしかない。
暫定的に、自分なりに最小構成に近いと直観できるものを考えた。

意欲(内発的動機)

あらゆる行為の動力源となるのは「意欲」ではないだろうか。心理学で「内発的動機」と呼ばれるものをイメージしている。

思考力

およそ人間の行為は意思決定の連続である。意思決定ための観察・思考・決断・実行(自己管理)、また連続の中で創意工夫と試行錯誤が求められる。さらにこうした意思決定サイクルの中で何が中核かと考えると、それは思考力であると直観する。

思いやり

人間は社会的動物であり、他者との協同が不可欠である。将来の他者との協同の根幹となるのは、他者への思いやりである。

 

当然、子どもは段階的に発達していくもので、例えば思いやりは4歳にならないと中々習得できないという。各年齢・月齢に適した習得目標は、発達心理学や発達脳科学を参考にしながら考えてみる必要があるだろう。

【育児】子どものポータブルスキル考察

私は育児の目的を「子どもがどんな幸せを追求したとしても役に立つポータブルスキルの養成」と設定した。では「ポータブルスキル」とは具体的には何だろうか

幼児教育の分野では「非認知能力」と言われているものがこれに該当すると思っていたが、ヘックマン教授の研究についていえば「認知的な能力以外の性質」程度の意味で、具体的な性質が特定されているわけではないように思える。

その後の「非認知能力」に言及する育児関連の論考では、「認知的な能力以外の性質」の内容について様々な定義が試みられているようだ。

以下、いくつかの研究に当たってみたが、最終的には親が選択するしかないという在り来たりな結論に至った。

ベネッセ教育総合研究所の調査

berd.benesse.jp

例えば文科省に報告されたベネッセの研究では「学びに向かう力」、具体的には「自分の気持ちを言う、相手の意見を聞く、物事に挑戦するなど、自己主張・自己統制・協調性・好奇心に関係する力」と定義している。そして、「学びに向かう力」が学習態度や「文字・数・思考」などの認知能力に影響していることを実証したという。

もっとも、この2012年の調査報告を少し読み解いてみると、「生活習慣の育ち」「学びに向かう力」「文字・数・思考の育ち」には関連がみられるということを示してはいるが、例えば「学びに向かう力」の向上が、「文字・数・思考の育ち」に繋がっているという因果関係を示しているわけではない。

上記3つの性質は、複数の要素(「友だちと協力することが出来る」等)の親の評価(「とてもあてはまる」から「ぜんぜんあてはまらない」までの四段階)を数値化して合算したもの。対象とした児童は5歳10か月から6歳9か月までで、調査期間は小学校入学直前に当たる1月・2月。直観的には、月齢や親の関わりの質と量が真の原因となっている気がする。
そうであるとすると「親の子ども自身が考えられるようにうながす働きかけ」と、子どもの「学びに向かう力」「文字・数・思考」に関連がみられるとする調査結果こそ、育児実践の面では参考になりそうだ。

現時点で最新の2019年2月25日の報告では、幼児期に「がんばる力」を身に着けている子どもほど、小学校低学年の「がんばる力・学習態度」も引き続き高く、小4時点での「言葉のスキル・思考力」が高いとし、家庭教育という点では、幼児期から児童期の「子どもの意欲の尊重」と「思考の促し」の重要性が示されている。

「がんばる力」とは、「学びに向かう力」の一部であり、「物事をあきらめずに挑戦する」「自分でしたいことがうまくいかないときでも、工夫して達成しようとすることができる」といった項目から成る。この結論は直観的でもあり興味深いが、気になる点としては、親の働きかけが小学校に上がっても継続しているなど、他の要因の存在が捨象されていないようにも見えることだ。

細かい点は気になるものの、「学びに向かう力」「がんばる力」であっても、「文字・数・思考の育ち」「言葉のスキル・思考力」であっても、子どもに獲得してほしいとは思うのであって、因果関係はどうあれ親の働きかけと相関があるという調査結果は、育児・教育の実践に対する示唆としては十分である気もする。

  • 具体的に子どもの「意欲の尊重」とは以下の7項目
  • 子供がやりたいことを尊重し、支援している
  • どんなことでも、まず子供の気持ちを受け止めるようにしている
  • 何事も子どもの意見や要望を優先させている
  • 子どもが自分でやろうとしているとき、手を出さずに最後までやらせるようにしている
  • 指図せずに、子どもに自由にさせている
  • しかるよりほめるようにしている
  • しかるとき、子どもの言い分をよく聞くようにしている

子どもの「思考の促し」とは以下の4項

  • 子供の「どうして、なぜだろう」などの質問に答えている
  • 子供の質問に対して、自分で考えられるようにうながしている
  • ひとつの遊びには多様な遊び方があることを子どもに気づかせようとしている
  • 子どもと一緒に出かけた後、互いに感じたことなどを話し合っている

OECDの研究

962015011P1 - OECD

社会情動的スキル――学びに向かう力

社会情動的スキル――学びに向かう力

同じように「非認知能力」に注目するOECDの研究では、目標の達成、他者との交流、情動の抑制の3つに係る性質をまとめて「社会情緒的スキル」と名づけている。
具体的には、忍耐力、自己抑制、目標への情熱、社交性、敬意、思いやり、自尊心、楽観性、自信が挙げられている。

同研究で「スキル」とは、①生産性(個人のwell-beingや社会経済的進展)に貢献するもの、②計測可能なもの、③環境や投資によって変化するものという3つの特徴をもつ個人の性質をいい、これを認知的スキルと非認知的スキルに大きく分けた上で、後者を「社会情緒的スキル(Social and Emotional Skills)」と呼んでいる。
認知的スキルも、社会情緒的スキルも、それぞれ様々な生活、社会的適応、心身の健康を予測する(相関する?)ものであると示し、双方のスキルをバランスよく持った子どもを育てる必要性を説く。

加えて、スキルがスキルを生むこと、また、非認知的スキルは認知的スキルを予測するが、認知的スキルは非認知的スキルを予測しないということ(非認知的スキルが認知スキルの獲得に繋がっている可能性)も示している。

以上をまとめると、早期から(双方のスキルのバランスに配慮しつつ)社会情緒的スキルを育むのがよい、ということになろうか。

国立教育政策研究所の研究

非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究

www.nier.go.jp

こちらではOECD等の動向を参考に「社会情緒的コンピテンス」と名付ける。
「『自分と他者・集団との関係に関する社会的適応』及び『心身の健康・成長』につながる行動や態度、そしてまた、それらを可能ならしめる心理的特質」を指し、心理的特質とは、認識、意識、理解、信念、知識、能力及び特性などを含むという。「社会的情緒的コンピテンス」には様々な内容が含まれ得るところ、同研究では、①測定可能であり、一定の科学的研究による知見が得られているもの、②何らかのアウトカムを予測するという知見が得られているもの、③障害における可変性及び教育や環境等による成長可能性を示す知見が得られているものを選定したという。

ちょっと考察

様々な性質が様々に名付けられており、現状、明確な整理がなされているをは思えない。

また、自己主張や自制など、TPOに合わせたバランスが肝心で、常に高ければ高いほど良いとも思えない性質もある。このような性質は、むしろTPOを見極める観察力や、それに応じて最適な態度を見出す思考力、実践する自己管理能力と実行力のようなものがより根本に必要なのではないか。

家庭内の実践を目指しているので、測定は家庭内で実施できるものでなければならない。またTPOに応じてバランスが求められるような性質は、仮に数値化が出来たとしても、最適な値を導くのははなはだ困難であるように思われる。「非認知能力」に着目したとしても、IQのように、簡易なテストで一貫して測定でき、高ければ高いほどよいと言える性質に着目せざるを得ない。

また、いかに名付けようとも、相関があるのは測定した数値であって、例えばマシュマロテストならばマシュマロを我慢できた秒数であって、我慢するという子どもの意思決定が「自制」に基づいたものであるかは別である。

結局のところ、実証研究において「非認知能力」の具体的内容は未だ絞り込まれておらず、「子どものポータブルスキル」が何であるかは、私の信念等に基づく(残念ながら科学的根拠のない)選択が不可避であるように思える。

【育児】情報環境の過酷さ

妻が妊娠してみてはじめて育児に関して手当り次第に調べているが、情報環境が想像以上に悪いと実感した。

1 父母にデバフがかかっている

妊娠、出産、育児は父母に大きな負担がかかる。

経済的にも苦しくなるだけでなく、健康を害することもあるし、体調を崩すこともあるし、生活リズムも大きな変更を余儀なくされる。
特に妊娠から出産まで育児初期の母親の負担が大きい。つわりが悪ければろくにご飯も食べれず、気分は優れず、体は重い。

そんなデバフのかかった状態で情報を調べ、考え、整理していかなければならないのである。

2 必要な情報の広さと深さ

育児には様々な問題があり、必要な情報の分野は多種多様。いずれの分野についても深い専門的知見が必要になることもある。

健康・医療ならば医者というわかりやすい専門家がいるが、いつでも医者に相談できるわけではない。そもそも専門家が存在しない(一般人が気軽に相談できないことを含む。)分野の知見が求められることもある。

昨今のIT環境においては何かしらの情報を相当程度の量で得ることができるだろうが、得られた情報の真偽判断はそう簡単ではない。

結果的に例えばママ友・パパ友のコミュニティ内においてバイアスの可能性を含んだ情報(口コミ)が重要視されているように思う。「〇〇さんが良いと言っていたから」はたしかに楽な判断方法だ。

3 検証の難しさ

例えば「良いしつけ方」を知りたいとしたとき、そもそも「しつけ」の目的となる「子どもにとって何が良いか」にはどうしても主観的な評価が入り込む。その前提に納得できなければその「しつけ方」は参考にできない。

仮に主観的評価が自身の考え方と一致したとしても、良し悪しの測定は困難である場合が多い。学校の偏差値とかテストの点数などはわかりやすくはあるが、果たしてそれらの数値にどれほどの意義があるだろうか。

目的が分からない or 測定ができない。そうすると検証して何が良い育児なのか判断することが難しい。
育児分野に実証のない恣意的な情報、経験則に基づく個人的見解が幅を利かせているのは、特にこの検証困難であるという構造が本質的要因であるように思われる。

ではどうするか

1のデバフはどうしようもない。外部委託するとしても、例えば育児専門家というようなカウンセリング職・コーチング職があったとしても、24時間365日の育児という闘争において早々他人に相談できるチャンスは経済的にも肉体的にも多くない。
また、3の検証困難もどうしようもない。門外漢の一般人からすれば研究者諸氏の奮闘を祈るばかりである。

私のような一般父母にできるのは2のコストをできるだけ下げる事、すなわち父母の情報リテラシーの向上だろう。特に情報の真偽判断(エビデンス確認)の習得が必要だ。

これを支援するために、エビデンス確認を単純化した情報媒体があると便利かもしれない。
例えば日本産婦人科学会のBabyプラスは、一般人がたどり着くことのできる「正しい情報」の取得が単純化されているものとして活用できるかもしれない(根拠を確認できるわけではないのだが)。

Babyプラス|公益社団法人 日本産科婦人科学会